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肥料・農薬・堆肥をつかわず作物栽培する

No input cultivation System

presented by Yoshima Farm

うわさの無肥料栽培とは  details

大自然と調和した農業…闘わない農業


大自然と調和した農業 2020.11.8  与嶋靖智

戦わない農業


農家の人たちは、「農業は○○との闘いだ」と言うことが多いようです。とりわけ無農薬栽培は、その闘いが多い傾向にあります。闘いには色々な種類があるようです。

  1. 雑草との闘い
  2. 病気や虫との闘い
  3. 動物(害獣)との闘い
  4. 天候との闘い
  5. 周りの人との闘い

無農薬農業は、それほど戦うことが多い怖いものなのでしょうか?大自然と調和した農業を目指すのが本来の無農薬農業だと思いますが、農家の心境は調和とは逆行している様に思えてなりません。私は戦わない農業を提案します。それらの戦いのほとんどが物事のとらえ方の勘違いからくるものが多いと思うからです。


①雑草との闘い

 本来、雑草はその土地に生きてきた先住民のようなものです。作物を栽培したいという私達の都合で雑草たちを除去するのですが、先住民である雑草たちに心のなかで敬意をもつことが大切だと思います。作物を栽培する畑では、雑草が作物に障害になるほど大きく育っては問題なので、人による管理が大切です。作物が小さいうちは丁寧に除草し、作物の小さな芽を助けてあげます。作物がある程度育ってきたら、周りに雑草があっても作物の生育に問題をおこさなければ、ある程度雑草たちがあっても大丈夫だと思ってもよいでしょう。雑草を根っこから引き抜く方法や、寝際で刈り取りその場に敷き詰めるという方法がありますが、どちらも臨機応変にその状況に応じて判断したらよいと思います。


雑草たちが畑の土づくりの主役になることがあります。雑草の役割は大きくわけて3つあります。ひとつは土壌にある過剰な残留肥料を抜く役割です。有機、無機問わず施肥が多い畑では作物の育ちは良いですが、あわせて雑草の育ちも旺盛な傾向にあります。逆に土壌の残留過剰養分が少なくなり、土壌のバランスが整ってくると、雑草の種類が変わってきます。はじめは大きく強い雑草だったのが、やわらかい優しい雑草の種類へ変わるので、除草作業が楽になる傾向にあります。

二つ目は、雑草が土を耕すという役割です。畑には耕盤といって、地下約30~40㎝ほどのところに堅くなった土の層ができていることあります。それは長年の機械耕起で機械が届かない層が踏み固められてできる場合と、長年の施肥によって残留した成分が蓄積されて堅く層を作ったことによります。その耕盤層は、作物の根の生育に障害になるほか、排水性が不良になる原因といわれています。雑草たちの強い根はその耕盤層に達し、堅い層を貫き砕く働きがあります。雑草たちが土を耕してくれているのです。


そして3つ目の雑草たちの役割は、土壌の養分バランスを整えることです。残留肥料を抜く役割とは異なり、雑草が不足する養分を生み出すことがあります。 スギナが良い事例です。スギナはもともと酸性の土壌を好んで生育します。言い換えれば中性からアルカリに近い土壌にはスギナはほとんど生育していません。スギナが多く繁殖している畑をみれば、その土壌の酸度がわかります。そしてスギナの根を掘ってみると、地上部は10㎝ほどでも根は50~60㎝にも伸びています。一生懸命にスギナ取りをしている農家さんが「このスギナは、地獄草と言われていてね。取っても、取っても、どんどん増える。根っこは地中どこまでも伸びて、とり切れない。大変な草なのよ」と言っていました。まさしく雑草と戦っているのです。

しかし、スギナの成分分析を試みると驚くべきことがあります。スギナは、ほうれん草と比較すると、カルシウムが155倍、リン、カリウムが5倍、マグネシウムが3倍と、非常に多くの成分が含まれています。注目すべきはカルシウムの含有量の多さです。そこで不思議なことに気づきます。スギナはもともと酸性土壌に多く繁殖しますが、酸性土壌は、アルカリ性を保つための成分であるカルシウムが少ない状態にあります。

しかし、もともとカルシウムの少ない土壌からカルシウムたっぷりのスギナが生えてくるという不思議な現象がおきています。なぜでしょうか?それは土壌とスギナとの間で、元素転換が起きているといわれています。元素転換の例として鶏が有名です。鶏は毎日カルシウムたっぷりの卵を産み続けますが、実際の餌のカルシウム成分を量ると生み出される卵のカルシウム量には及ばないそうです。このように自然界では日常的に元素転換がおきているのです(参考 Corentin Louis Kervran1970 Biological Transmutations)。

そしてスギナは、生えてきた場所で枯れて土にかえることで、その土地にカルシウム成分を補給します。すると酸性だった土壌が、スギナのカルシウムで徐々に中性になり、土壌の成分バランスが整います。スギナは身を尽くして土壌を良くさせようとしていたのです。無肥料栽培で「土壌の酸度調整はどのようにしますか?石灰などを入れたほうが良いですか?」という質問がありますが、スギナの役割を活用すれば、人は何も考えなくても、何も入れなくても自然の力で酸度調整がなされます。こうなるとスギナは悪者でも戦う相手でもなく、良き助け役であって、歓迎したい存在になります。


様々な種類の雑草たちは、それぞれの役割を果たしながら、その土地が良くなることに働いて頂いているのです。雑草たちに感謝です。畑の先住民である雑草たちの存在を受け入れ、感謝しながら雑草たちと向き合い、雑草たちの生えてきた意味をくみ取ってゆくと、戦う気持ちではなく、楽な気持ちになれるのではないでしょうか。



②病気や虫との闘い

作物に虫がつき食い荒らすのには意味があります。一般的に過剰施肥による過剰窒素が作物体に蓄積されると、作物体からは窒素ガスが吐き出されるため、そこに虫が寄り、作物体内の過剰窒素を消化すべく葉を食べ荒らします。アブラムシは過剰窒素によって招くということを多くの農家さんが経験的に知っているでしょう。虫が土壌の養分バランスの良し悪しを教えてくれているのです。

身近な自然界をみると、森の草木の葉が虫食いだらけということがほとんどありません。それは、森の土壌の養分バランスが良く保たれていることを示しています。また、森という複雑な生態系のなかで害虫に対して、天敵となる捕食者(虫や鳥など)の生物多様性も良いバランスを保つ要因となるでしょう。無農薬栽培のヒントを自然界にみることができます。

日本の暖地では稲の害虫としてPomacea canaliculate(和名 スクミリンゴ貝、俗称 ジャンボタニシ)が有名です。田植え直後から稲の葉を食害し、農家を悩ませています。しかし、無農薬栽培を実施する農家さんにとっては益虫になっています。同じ虫が害虫にも益虫にもなるとは?!  本来、ジャンボタニシは堅い稲よりも芽吹いたばかりの水田雑草を好んで食べます。除草剤を使用しない無農薬栽培では田植え直後から雑草が次々と芽吹きます。ジャンボタニシの恰好の餌となるのです。ジャンボタニシが住む水田は除草剤を用いなくても雑草が大きくなることはなく、稲は健全に生育する光景を見ることができます。害虫を敵とせず、その生態を知り共存してゆくことで、無農薬栽培が可能になった良い実例です。

逆に田植え前後から除草剤によって雑草がほとんどない水田においてはジャンボタニシが食べるべき草々がないため、やむをえず稲を食害するのです。 ある自然栽培農家さんは、野菜の葉を食べるヨトウ虫に困っていたのですが、ヨトウ虫のことは諦め、「畑にいてもいい」と認めたところ翌朝には一斉に周りの雑草を食べ始めてくれたという経験を話されました。「今では野菜の成長を助ける益虫になりました」と、虫たちに感謝するようになったそうです。自然界のなりゆきにお任せして感謝したらよい結果になったという実例です。


病気については、どうでしょうか?

病気は、浄化作用であるという考え方が基本にあります。例えば人の場合、腐ったパンを食べれば、嘔吐や下痢をすることがあります。このとき理由は単純で、身体は悪いものを早く体外に出そうとする現象そのものです。病気ではありません。また、ウィルス性の高熱が出た場合は身体が高熱で体内のウィルスを抑制しようとする働きそのものでしょう。原因があって病気が起きているならば、その多くが体内を正常に保つための浄化作用といえるでしょう。 作物も同じで、肥料という異物によって病気が起きていることが多いのも、浄化作用の現れだと知ることができます。 人の身体も、作物もおきている浄化作用を薬剤で止めたなら、本来の原因は残ったままで、さらなる問題をおこしてしまいます。ある程度軽い浄化作用であれば、有難いと受け止め、浄化作用がおきている原因を知り、正してゆくことが大切でしょう。


③動物との闘い

中山間地の農地が多い日本の農業では、イノシシ、タヌキ、鹿、兎などが農地にはいって作物を食い荒らす害獣として知られています。空からも鳩、カラス、そして地域によっては熊までも。まるで動物園のようです。 農家は躍起になって電気柵や檻などを仕掛けて害獣が侵入しないように対策します。野生の動物たちとの闘いのようです。 動物たちは作物を害するときには、人に嫌な思いをさせることが目的ではなく、何の罪悪感もありません。動物たちは元来、大自然と協調した存在です。

人としては、野生の動物たちを敵対視するのではなく、協調できるのが理想です。 ある自然栽培農家さんが話ました。「イノシシがいますが、電気柵などしなくても田んぼの稲を荒らすことなく、あぜ道を通ってくれます。鳥は日陰の美味しくないミカンだけを選んで食べてくれます」。 動物たちと対立せず、自然界と協調する心が、動物たちに伝わったのでしょうか。


④天候との闘い

 大きな勘違いです。そもそも天候は人がコントロールできるものではなく、戦う相手でもありません。雨も風も、太陽の日差しも、温かさ、寒さも全てです。自然の天候は恵みそのものです。人の力が及ばないならば、天候に対しては「お任せして感謝する」しかないと思います。


天候は良い恵みだけではなく、時には極端な雨や風は災害をもたらしますが、そのときに天候に不平不満を言っても何かが変わることはありません。 「長雨で不作だ」「日照りで不作だ」「日照不足で不作だ」などなど、「天候のせいで不作だ」と、言い出したらきりがありません。もちろん近年の天候不順は農家をとても悩ませます。農業は、大自然のなかにあり、計算通りにうまくいかないものです。天候に不平不満を思うよりも、普段日常の天候にどれだけ感謝できているかと問われると、あまり感謝ができていないことに気づきます。


元来、日本では古くから、あらゆるものに神が宿るとされてきました。そのなかでも、雨や風などの天候を司る大きな力を象徴し、風神・雷神と位置づけ、尊び敬ってきました。人は自然界のなかで生かされているという当たり前の恵みに、どれだけ感謝できているでしょうか? 農家としては、ハウス栽培や水はけを良くするなど、人が出来る工夫をして、あとは天にお任せです。


⑤周りの人との闘い

無農薬農業は、一般的な農業とは違うことが多いです。農法的なことはもちろん、思想的な考え方も随分違います。そこで時々見受けられるのが、周りの人たちと対立している無農薬農家があります。例えば極端に農協の悪口を言い対立し、自身の農法の主張をして独善的に排他的になってしまうことがあります。 農業は土地に根付いた産業です。決して一人では成すことができません。畑の周辺の環境も、水回りも、地域社会全体で維持されています。地域社会と周りの農家さんや農協などと協調して仲良くしてゆくことが大切だと思います。

周りの農家さんは農業の大先輩です。農法は違えども、例えばその土地の気候風土を熟知し、最適な種まき時期や収穫時期を知っているのも、長年の経験からわかることです。農業は、遠くの先生や、本やインターネットなどで学ぶのではなく、その地域の地元農家さんから学ぶことのほうが、はるかに価値があり、大切なことです。 周りの人たちと協調したうえで、「人のことは気にしない」ことが大切です。協調と同調は違います。お互い違う考え方があるのは当然です。相手の考え方や農法に同調しすぎると、無農薬農業を続けることが心苦しくなります。周りの考えは認めたうえで自分自身の思いを大切に保ってゆくのです。

人は、誰でも4つの思いを持っています。

  1. 他人のことを気にする
  2. 正当性を主張する
  3. 知らないことさえ知らない
  4. 先の事に不安心配がある

自分自身がもつ、1~4の想いを客観的に見て、なくす(執着をもたない)と、心が楽になります。

  1. どうしても人は他人の事が気になるので、気にしなくなれば楽になる。周りとの協調性は大切ですが、価値観の相違などは気にしない。
  2. 人は物事を主張する。その根底には、”自分が正しい”を持っているから、言い争うようなことが起きる。「自分は間違っているかもしれない。起こる事の原因は全部自分にある」と気が付けば楽になる。
  3. 無知の知・・自分の知識は完全でないことを自覚する。自分が知らないことが多く、もっている知識は正しいとは限らないと気付けば、相手の事を否定しなくなるので楽になる。また、今ある常識も時代が変われば非常識になることもある。
  4. 自分自身のことを天(大自然)にお任せする。人は、自分自身を守るために我と欲がでてしまうので注意する。自分自身の心を常に客観的にみる。



これからの農業は


病虫害や風水害など、農業を営む上では困難なことが多くありますが、物事の見方をかえてみると、自然界は、私達を応援している存在で、自然の恵みそのものと気づくことができます。自然界は、愛そのものともいえるでしょう。

なぜならば、自然の恵みは無償であり公平に全ての命に注がれているからです。その自然界のなかで生かされている私達人間は、起きる事全てに感謝してゆくことが、大自然と協調した生き方につながるのではないでしょうか。




無肥料栽培の原理


自然界の恵みとは、あらゆる命を活かす力です。 自然界とは、身近な自然のことですが、それを大きくみれば地球であり、その地球が存在する宇宙そのものと言えるでしょう。 飛躍した表現かもしれませんが、私達は宇宙全体からの恵みのなかに生きているのです。そして、その恵みを量るときの言葉を総称して「宇宙エネルギー」とします。 宇宙エネルギーは、無尽蔵に地球に、身近な自然に、農地に、そして人に注がれています。それは、あらゆる命に注がれており、万物を生成化育させています。


一般的にいえば、太陽の光と熱は、最も分かりやすい宇宙エネルギーです。月もまた、水の作用(月満ち欠けは満潮干潮に影響し、整体水にも作用)を司っています。このような身近エネルギーはよくわかりますが、宇宙エネルギー全体からみたら、それらはごく一部の一例です。 本来、土壌というのは、その宇宙エネルギーを蓄える受け皿的な物質として機能しています。植物は土壌の蓄えた宇宙エネルギーを根っこというアンテナで元素転換し、栄養化して成長しているのです。元素転換は、宇宙エネルギーの作用によって発生します。これまでの土壌肥料学とは異なる見解です。 無肥料栽培は、肥料農薬堆肥を使用しません。なぜそれで作物ができるのかという疑問があります。その答えに宇宙エネルギーの作用があります。



作物が人為的な肥料で育つのではなく、宇宙エネルギーによって生育しているというのです。宇宙エネルギーは、植物にとっての本来の肥料そのものです。人為的な肥料が有限なのに対し、宇宙エネルギーは無限です。場合によっては無肥料栽培作物が、施肥栽培よりも増収しているという現象があるのはこのためです。または、落ち葉も降り積もらないような場所の街路樹などが、肥料や堆肥なくとも、毎年生育旺盛に育っている姿にも通じることがあります。 ただし、ここで大切な要素があります。特に人が関わる農地において、宇宙エネルギーが作用するには、2つの要件が重要になります。ひとつめは、人為的肥料や農薬が使われると宇宙エネルギーの働きが劣ってくること。二つ目は、宇宙エネルギーは人の心(精神性)によって増減が甚だしく左右されるという事です。


宇宙エネルギーが作用するためには、人が大自然に協調した生き方が大切になるのです。農家の精神性が作物の品質や作柄に左右するのです。したがって農家は全てに感謝し、人と環境にわるいものは使わず、大自然と協調する生き方が大切です。さらには作物と対話しながら栽培します。そこには、戦わない農業の姿勢が大切になってくるのです。そのようにできた農作物は宇宙エネルギーを有します。そして、宇宙エネルギーをもった農作物は人の心と身体に作用します。その農作物は、食べた人にとって、病気が改善されることがあり、心が軽く元気になるでしょう。なぜならば、自然界の宇宙エネルギーは、命の根源を活かす力としての、創造の愛そのものだからこそ。


美しい話ばかりではない。現実は

大自然と協調した農業とは、なんと美しいことでしょう。しかし、現実の農業はそう簡単にできるとは言えないのが普通です。農業では、良いことよりも、思うようにいかないことのほうが多く悩みが尽きません。年数と経験を重ねれば、ある程度の技術がつき効率性もよくなるのですが、それとは裏腹に解決が難しい問題が次々おこります。「農業は毎年一年生」と農家の人たちが口をそろえて言う言葉どおりです。



無肥料栽培の土づくり  土を尊び愛する


農家は無農薬農業の難しさに直面します。「難しいが、自然環境のため、食べる人のために、続けてゆきたい」と願う心は愛そのものです。向かってゆく目標にある多くの困難は、愛を深め強くする大切なハードルとして繰り返されます。農家の愛の心は土に通じ、宇宙エネルギーにつながります。

愛の心が土と環境を良くしてゆくのです。そして農家の愛と宇宙エネルギーが満ちた農地は癒しの地となるでしょう。また、宇宙エネルギーを応用することで、自然を害する化学物質汚染問題が解決できるともいわれています。今、大自然と調和し、宇宙エネルギーを活用した無農薬農業の実施者が増えることが急務であり、今後拡大することを願ってやみません。




無肥料自然栽培 サイトマップ

  


有機農法の、
  その先の世界

【無肥料自然栽培とは】


化学肥料・農薬はもちろんのこと、有機肥料(堆肥、米ぬか、油粕、魚粕、腐葉土等を含む)を一切使用せず、

土壌と作物そのものがもつ本来の偉力を発揮させることで作物を栽培する農法のことです。これからの農業がゆく、道しるべがあります。


この栽培方法は、もちろん無農薬です。放任農法ではありません。

※除草も、管理も十分に行います。 不耕起ではありません。耕します。


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与嶋靖智【飛騨高山よしま農園】